= 写真花嫁。
サンノゼ出身の日系政治家、Norman Mineta。サンノゼ空港の正式名だったり、ブッシュ政権にいたこともあるんで知ってる人も多いけど、これは彼の母親の話。
いわゆる、「ピクチャー・ブライド」だったんだそう。
During a time of rising anti-Asian sentiment in the United States, U.S. president Theodore Roosevelt and Japan reached the Gentleman’s Agreement in 1907. This informal agreement allowed Japanese American students in San Francisco to attend the same schools as other students and not be required to join Chinese and Korean students in “Oriental Schools,” but also prevented Japanese laborers from coming to the United States, with a few exceptions. Those men who were already here were allowed to send for their families. Men who were bachelors worked with their families and baishakunin (go-betweens) in Japan to arrange for marriages to young women, with the men’s photographs often serving as proxies.
アジアへの反感が高まった20世紀初頭。日米で、日本人をアジア人専用「オリエンタル学校」ではなく通常の学校に入学させる代わりに、就業ベースの移民を取りやめると言う協定が結ばれる。これで困るのがすでにアメリカにいる独身男性。日本から出稼ぎに来る独身女性がいなくなるんで結婚相手の日本人女性を探すのは至難の業に。そのために例外的に「写真結婚」という移民方法が導入されたんだそう。媒酌人が日本に男性の写真を持ってきて花嫁を探し、花嫁はその写真を頼りに渡米する、という綱渡り的システム。ノーマン・峯田の母親もこれで渡米したらしい。
当時の入国ポートはエンジェル・アイランド。むかーし遊びに行ったことがあるけど、今でも当時の移民施設が残っている。当然写真婚はカリフォルニアでは認められてないんで移民官に色々インタビューされたらしいけど、当地で結婚してその証拠をのちほど提示する、と言う条件のもと入国。その日のうちに結婚式を挙げ、マリッジライセンスを提出したんだそう。
今も昔も移民は大変。